放課になると、美鶴は駅舎へ直行した。なにも瑠駆真会いたさにというわけではない。学校へ通っていれば、帰りは駅舎へ向かうのが日課だからだ。
瑠駆真は、直訴めいた事などは何もしていないと言った。むしろ美鶴の謹慎解除には自分も驚いているとすら言った。
だが、生徒間で噂されている件については、否定はしなかった。苦笑いが浮かぶ。
「君は、信じていなかったんだね」
無理もないと言いたげに肩を竦める。
「誰だって、信じられないよね」
「本当なのか?」
瑠駆真は駅舎のコンクリート床を見つめた。
「本当だよ」
そうしてサッと顔をあげる。
「僕は君に向かって嘘をついた事など一度もない」
両肩を捕まれ、一歩下がる美鶴。
「僕は、いつも本気だ」
オリエンタルな、少し色気も隠し持った極上の瞳に、美鶴が映る。
「僕と一緒に、ラテフィルへ行こう」
だが、美鶴が何かを答える前に、邪魔が入ってしまった。
「王子様、抜け駆けはいけないな」
視線を向ける先では、聡が忌々しそうに睨みつけていた。
結局、その話はそれで終わってしまった。
美鶴はもう一度駅舎の入り口へ視線を向けた。が、やはり待ち人の気配はない。
教科書へ視線を戻す。
あの日以来、瑠駆真からラテフィルがどうのこうのと言われる事はない。だが、美鶴は何となく胸の内に靄がかかったかのような、スッキリとはしない気分を抱えている。
私の謹慎が解かれたのは、それはそれで喜ばしい事なのだろう。だが、状況には納得できていない。
謹慎が解かれたのは立場のある瑠駆真の存在あっての事で、決して私の潔白が証明されたからというわけではないのだ。じゃあ、もし私が本当にあの一年生の、金本緩という生徒を殴っていたとしたら、学校は罪のある生徒を無罪放免にしたという事になる。
私が殴ったか殴ってないかなど、所詮は大した問題ではない。重要なのは当人が、あるいは当人と関係のある生徒がどれほどの権力や身分を持ち合わせているかという事なのだ。
権力。
美鶴は、不快を感じた。
瑠駆真も、そのような生徒だと言うことか。
本人は、自ら自分の身分を明かしたワケではないと言った。教頭の浜島が勝手に調べ、勝手に解釈しただけなのだと。
だが、本当かどうかなどわからない。ひょっとしたら瑠駆真が身分を盾に、美鶴の謹慎解除を要求したのかもしれない。唐渓に通う、他の生徒と同じように――――
他の生徒と同じように。
美鶴は両手で顔を覆った。
なんだ? なぜ気落ちする? 瑠駆真だって唐渓に通う生徒なのだ。他の生徒と同じだからといって、何も不思議な事はないだろう。自分に提供してくれたマンションの一室をみても、彼が相当の金持ちであることはわかっていたはずだ。金のあるヤツはみな唐渓に通う生徒のような存在なのだと、わかっていたはずじゃないか。
だが美鶴の心は晴れない。
自分はどこかで、瑠駆真を信じていたのだろうか? 瑠駆真は、他の生徒とは違う。どのような立場であっても、どれほど金持ちであっても、それを振りかざすような事はしないのだと期待していたのだろうか? 自分を好きだと言ってくれる瑠駆真は、そんな人間ではない。
自分を好きだと言ってくれる―――
不意にツバサの言葉が甦る。
「金本くんも山脇くんも、たぶん本気で美鶴の事が好きだと思うからさ」
本気であるにしろないにしろ、これだけしつこいのだから、ちゃんと答えなければならないのだろうな。もし、本気だというのならば、その心をこれ以上避け続けるのはよくないだろう。
恋心を粗雑に扱われるのは、辛い事だ。
その時、入り口で音がした。期待を込めて頭をあげる。だが顔に浮かんだ期待は、落胆に変わった。
「瑠駆真」
あからさまな表情の変化に、瑠駆真は苦笑しながら扉を後ろ手で閉める。
「僕では、いけなかった?」
「あ、いや」
思わず出してしまった表情に気まずさを感じ、視線を教科書へ戻す。
「勉強、捗ってる?」
「お陰さまで」
そうだ、勉強だ。来月には全統模試もある。こんなところでボーっと考え事なんてしている暇はない。
無理矢理にもで奮い立たせるかのように言い聞かせ、だがなんとなく違和を感じて思わず顔をあげてしまった。視線の先には、駅舎の窓ガラス。開閉はしない嵌め込み式。と、そのガラスの向こうに二人の人物。
「なっ」
思いも寄らない存在に、美鶴は思わず声をあげてしまった。
「な、何?」
驚いて瑠駆真も振り返る。そうして美鶴が見たのと同じ人物の存在を確認すると、こちらは少々ウンザリとしたようにため息をついた。そうして、呆れたように右手を腰に当てる。
「こんなところまで」
「え?」
こんなところまで?
唖然と瑠駆真を見上げる。そんな美鶴に眉を下げて苦笑する。
「たぶん、目的は僕。いいよ、勉強の邪魔だろう? 追い返してくる」
そう言って、瑠駆真は鞄を机の上に置いて駅舎を出て行った。その動きにつられてガラスの向こうの二人も動く。どうやら本当に瑠駆真目的のようだ。
美鶴はワケがわからず、声も出ない。
瑠駆真は女子生徒からの人気は高い。ゆえに、瑠駆真を追いかけてこの駅舎にまでくっついてくる輩も多い。そう、そのような存在は美鶴も知っている。だから驚かない。
だがそれは、相手が女子であればの話。
今、駅舎の外で瑠駆真が相手にしているのは、間違いなく男子。それも、二人ともかなり体格の良さそうな存在。一人、やや背の低い方の男。襟足からなにやらキラキラ光るものが垂れ下がっている。あのような代物、唐渓では校則に反しないのだろうか?
そんな二人が窓ガラスにヘバり付くようにしてこちらを覗き込んでいた。
誰だって驚くだろう。
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